メキシコの雇用契約書作成の実務|NDA・競業避止・外国人雇用

はじめに

雇用契約書の「基礎編」では、労働法(LFT)が求める必須記載事項について解説しました。しかし、実務上の契約書の役割は、法令順守だけではありません。「ノウハウの流出を防ぐ」「開発した知財を守る」「外国人を適法に雇う」といった、会社のリスクを防衛するための条項をどう設計するかが、人事・法務担当者の腕の見せ所です。本記事では、一歩進んだ契約実務と条項設計について解説します。

サマリー:会社を守る「防衛条項」のポイント

条項カテゴリー実務上のポイント
秘密保持 (NDA)「何を秘密とするか」を具体的に定義し、退職後の返還義務を明記する。
知的財産 (IP)業務中の発明・制作物が「会社に帰属する」旨を明記しないと、権利が従業員に残るリスクがある。
競業避止「職業選択の自由(憲法)」との兼ね合いで、無制限な禁止は無効。期間・地域・対価の設定が鍵。
外国人雇用「就労ビザの有効性」を雇用継続の条件とする条項(Cláusula de Extranjería)が必須。

詳細解説

1) 秘密保持と知的財産権(Confidencialidad y Propiedad Intelectual)

メキシコでは、従業員が会社のデータや顧客リストを持ち出すトラブルが頻発します。

  • 秘密保持条項:
    単に「秘密を守る」だけでなく、「顧客名簿、価格表、製造プロセス」など具体的な対象を列挙します。また、違反時のペナルティ(解雇事由への該当および損害賠償)を明記します。
  • 知的財産権の帰属:
    連邦労働法第163条に基づき、業務遂行中に従業員が生み出した発明や著作物が「会社に帰属する(Work for hire)」旨を契約書で明確に合意しておく必要があります。これがないと、従業員からロイヤリティを請求されるリスクがあります。

2) 競業避止義務(No Competencia)の限界

「退職後2年間は競合他社に転職してはならない」という条項を入れたい企業は多いですが、メキシコ憲法第5条(職業選択の自由)により、絶対的な禁止は無効とされる可能性が高いです。

  • 有効性を高める工夫:
    「全業種への転職禁止」ではなく、「特定の機密情報を使用する職務」に限定する、あるいは「競業避止の対価(手当)」を支払うなど、合理的な制限に留める必要があります。

3) 外国人(駐在員・現地採用)特有の条項

日本人駐在員やその他の外国人を雇用する場合、ビザ(在留資格)との連動が不可欠です。

  • ビザ要件条項(Cláusula de Extranjería):
    「本契約の有効性は、従業員がメキシコ移民局(INM)から適切な就労許可を取得・維持することを条件とする」という文言を入れます。ビザが失効した場合に、会社が責任を負わずに解雇できる根拠となります。
  • 帰国費用の負担:
    契約終了時に、本国への帰国費用を会社が負担するか否か(Repatriación)を明記しておくと、退職時のトラブルを防げます。

4) 署名と保存の実務(紙 vs 電子)

契約書は作って終わりではありません。証拠能力を持たせる形式が必要です。

  • 全ページへのイニシャル:
    署名欄(最終ページ)だけでなく、すべてのページに当事者のイニシャル(Rúbrica)または署名を記入させます。「中身を差し替えられた」という主張を防ぐためです。
  • 電子署名(Firma Electrónica):
    メキシコでも電子署名は有効ですが、単なるPDFへのスタンプではなく、NOM-151(商法上の電子署名規格)などに準拠したシステムを使うことが、裁判での証拠能力を高めるために推奨されます。

実務FAQ:契約書の「書き方」で迷うポイント

  • Q. 日本語だけの契約書でサインをもらっても有効ですか?
    A. 無効ではありませんが、裁判では使えません。
    労働裁判所への提出時には、公認翻訳士によるスペイン語訳が必須となり、コストと時間がかかります。最初から「スペイン語版」または「西日(または西英)併記版」を作成し、「解釈に相違がある場合はスペイン語版を優先する」と規定するのが鉄則です。
  • Q. 給与の内訳(手当)は細かく書くべきですか?
    A. はい、書くべきです。
    「月額総額 30,000ペソ」とだけ書くと、それが基本給なのか、残業代込みなのか曖昧になります。「基本給 25,000、食券手当 2,000、定額通勤手当 3,000」のように内訳を明記することで、退職金計算(SDI)の根拠が明確になります。
  • Q. 契約書の変更(昇給・配置転換)のたびに作り直しが必要ですか?
    A. 「変更合意書(Convenio Modificatorio)」で対応可能です。
    契約書全体を作り直す必要はありません。変更点(給与額や勤務地など)のみを記した合意書を作成し、署名して元の契約書と一緒に保管します。

実務チェックリスト

  • 契約書に「秘密保持」および「知的財産の会社帰属」の条項が含まれているか。
  • 外国人従業員の場合、「ビザの維持」を雇用条件とする条項が入っているか。
  • 契約書の全ページに、従業員のイニシャルまたは署名があるか。
  • 言語はスペイン語(または併記)になっているか。
  • 給与だけでなく、食券や交通費などの「手当」の内訳が明記されているか。

まとめ

雇用契約書は、単なる入社手続きの書類ではなく、会社のリスク管理ツールです。「基礎編」の必須項目に加え、「実務編」で解説した防衛条項を盛り込むことで、情報漏洩や退職時のトラブルに強い組織を作ることができます。特に外国人雇用や知財が絡む場合は、専門家によるリーガルチェックを推奨します。

本記事は、『日系企業が安心してメキシコで事業を展開できるための知識基盤』を目的に作成しています。今後も実務に役立つ情報を発信してまいります。

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リソース:

  • メキシコ連邦労働法(LFT)第25条・第163条(発明権)
  • メキシコ憲法第5条(職業選択の自由)